ちゃぶ台の歴史 高坏
・『魏志倭人伝』より、日本人は食事に高坏を用いていた。
・高坏(たかつき)とは、平鉢、椀、杯、皿のような食器に、台脚をつけた土器または、木器である。
ちゃぶ台の歴史 膳
・平安時代以降、高坏は、膳としての役割を果たすようになる。
ただし、脚つきの食卓は、社会の上層部の用いるものであった。
平民は、折敷を使っていたと、考えられている。
折敷とは、木を薄く剥いで、四方を縁取りしたもの。見た目は、お盆。
ちゃぶ台の歴史 銘銘膳
・江戸時代、折敷に脚や台がつき、膳へ。、
身分の高い人たちは、高坏、折敷などを、使用。平民は、飯台が用いられた。
・飯台とは、食器格納のついた箱の食卓のこと。のちにこれを、箱膳(はこぜん)と呼ぶ。
飯台とは、箱の部分に食器を格納。食事時に、箱の中から食器を取り出し、蓋を裏返して、その上に置いた。
飯台は、ぜん・おぜん・はこぜん・はんだい、などの名称で呼ばれた。
日本の社会は縦社会!
近世まで、日本では、皆一緒のテーブルについて、食事をするということが、なかった。
人間に上下関係がある、縦構造の社会だったため、食器はもとより、食卓も、別だったのだ。
高坏や、箱膳、銘々膳は、日本ならではの社会により、出現したと考えられる。
ちゃぶ台の歴史 ちゃぶ台の普及 ちゃぶ台の本格的普及は、昭和に入ってから ・明治...
ちゃぶ台の歴史 銘銘膳からちゃぶ台へ。ちゃぶ台の起源。明治時代になってから、使用されるようになった、座卓
ちゃぶ台の歴史 高坏 『魏志倭人伝』より、日本人は食事に高坏を用いていた。ちゃぶ台の歴史 膳 平安時代以降、高坏は、膳としての役割を果たすようになる。 ちゃぶ台の歴史 銘銘膳 江戸時代、折敷に脚や台がつき、膳へ。 日本の社会は縦社会! 近世まで、日本では、皆一緒のテーブルについて、食事をするということが、なかった。人間に上下関係がある、縦構造の社会だったため、食器はもとより、食卓も、別だったのだ。高坏や、箱膳、銘々膳は、日本ならではの社会により、出現したと考えられる。